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(出所:「(株)大正通信社『寫ゥ通信』」写真説明は原文のまま)

X 歴史寫眞昭和6年11月
滿洲事變特輯號
第一巻(表紙)
◆◆◆滿洲事變寫眞(其四)◆◆◆
9月18日午後10時30分頃奉天北大營所屬の支那兵約300名が柳條溝の滿鐡線路の爆破企てつつあったのを我が鐡道守備隊が發見したところ支那側より發砲せる爲め是に應戰、兩軍の間に衝突の不幸を見るに至ったもので、我が軍は疾風迅雷の如き早業を以て、一擧に北大營を占領すると共に、軍の一部は奉天内城に進撃し激戰數刻にして忽ち是を攻略し、更に東大營を奪ひ、兵工廠及び飛行隊を奪取し、茲に奉天城を中心とする東北軍を全滅せしむるに至った。寫眞の右上は奉天戰に於て我軍の鹵獲した支那軍の兵器で、中には某国製の最新武器もあり優秀なものが尠くなかった。左下は9月20日昌圖附近紅頂山の戰闘に於て敵陣を猛撃しつつある我が重砲兵隊。叉右下は事變勃發と共に自己の獨斷を以て滿洲へ出動したる林朝鮮軍司令官である。
◆◆◆滿洲事變寫眞(其五)◆◆◆
柳條溝の日支衝突に端を發し直ちに北大營に殺到したる我軍は、一時その北部を占領したるも敵勢漸次に増加して約一千を算すに至り為に苦戰に陥ったが更に屈せず、猛撃を加へ、十數發の我砲彈は北大營に命中して微塵に是を破壞し、支那兵の死傷數百名を算するに至り19日午前2時遂に全く是を占領した。寫眞右下は激戰のあと、左上は我軍の占領したる奉天飛行場格納庫と飛行機。下は關東軍司令官本庄中將
◇◇◇滿洲事變寫眞◇◇◇(その二)
(右上)奉天駐剳軍第一第二大隊は9月19日午前二時奉天城内一隊を包圍し午前6時半東門を占領したるを手始めに内外を完全に保障占領した。その時東北邊防軍司令長官公處衞戌隊第一營門に支那の武装兵約五百名潜入しゐたるを發見、直ちに武装を解除し、續いて城内各處の支那兵を孰れも悉く武装解除し、茲に全く奉天は我軍の支配下に置かるる事となった。寫眞は我軍の占領したる同城内支那市街地。(同下)奉天滿鐡附屬地境界線に張られた鐡條網。(左上)我軍の占領したる東北邊防軍司令長官公署。(同下)9月22日吉長線下九臺驛前に塹壕を掘る我兵である。
(右上)我軍の占領したる奉天城内支那市街地。(同下)附屬地境界線の鐡條網。(左上)我軍の占領したる東北邊防軍司令長官公署。(同下)下九臺驛前に塹壕を掘る我兵。
◇◇◇滿洲事變寫眞◇◇◇(その三)
(右上)我軍の占領したる東北航空司令部(同下)奉天に於る自警團の警戒振り。
(左上)戰火の巷となりたる奉天四平街。(同下)小西門下に於る我兵の検閲。
(右上)事變突發と共に參謀本部より『日支重大危機に逢着す。この際奉天軍を徹底的に撃滅し以て奉天政權の暴戻を斷乎鷹懲すべし』との重大なる訓令を受けたる我軍は東北軍全滅の方針を以て奉天城の内外を占領すると共に奉天郊外東北航空隊及飛行場を占領した。寫眞は即ちその司令部。(同上)日支兩軍の衝突と共に奉天滿鐵附屬地に於ては自警團組織せられ手薄の軍隊を援助して非常警戒に當った。(左上)奉天商埠地に於て最も繁營を極むる四平街である。(同下)城内小西門下に於て我兵が通行支那人の身邊を検査しつつあるところ。
◇◇◇滿洲事變寫眞◇◇◇(その四)
(右)長春驛に掲げられた警備司令部の看板(左上)奉天驛に到着する援兵隊(同下)奉天東大營に於る武器引渡し。
◇◇◇滿洲事變寫眞◇◇◇(その五)
(右上)奉天へ向ふ松井中佐と平田小佐(同下)朝鮮軍、龍山を出發せんとす(左)緊張水も洩らさぬ參謀本部玄關
(右上)日支兩軍衝突事件漸次擴大する傾向にあるに鑑み、參謀本部第二部(支那)の平田小佐並に陸軍省新聞班次長松井中佐は9月21日朝羽田飛行場發一路奉天に向った。寫眞の左松井中佐、右平井小佐である。(同下)事變突發の9月19日朝鮮軍に出動命令下り先ず龍山歩兵第○○○聯隊は同日午前十時より三十分毎に臨時列車を以って輸送を開始した。寫眞は即ち龍山驛出發の光景である。(左)9月20日、」滿洲事變に關し陸軍省首脳部の重要協議を開いた參謀本部は、朝來憲兵に依り物々しく警戒せられ事態の重大化を想像せしむるに十分なるものがあった
◇◇◇滿洲事變寫眞◇◇◇(その六)
(右上)我軍の占領したる奉天長官公署(同下)奉天東大營破壞の慘状(左上)鹵獲品を運搬する我軍(同下)滿鐡附屬地境線の夜警
(右上)9月19日我軍の占領したる奉天長官公署で、奉天政府の首腦部でsる。(同下)我軍の砲撃により無殘にも破壞せられたる奉天東大營の慘状で、此處は北大營と共に支那東北軍の兵營である。我軍の攻撃したる際には騎兵に個中隊約三百名、迫撃砲兵若干があったが、忽ち武装を解除された。(左上)寛城子方面の戰闘に於て我軍の鹵獲したる兵器其他を支那の荷車に積込み苦力を督して運搬しつつある光景(同下)事變突發の夜奉天滿鐡附屬地に於て兵士と自警團員共同警戒に任じつつある有様である。
◇◇◇滿洲事變寫眞◇◇◇(その七)
(右上)朝鮮軍の出發を見送る人々(同下)奉天驛に於る○○聯隊の見送り(左上)長春驛に集合したる我軍(同下)長春方面に於て活動したる我が野砲
(右上)9月19日滿洲に向け輸送中の第○○師團管下の混成旅團各部隊に對し一時新義州以南に出動を停止して時機を待つべく電命を發したが翌20日に至り、朝鮮軍指令官林中将は滿洲の事態急迫を告ぐるものあるに依り獨斷を以って待機中の軍の一部に出動指令を發した。寫眞は盛んなる見送りを受けつつ滿洲に向はんとする朝鮮軍。(同下)9月20日長春吉林方面の情勢不安を告ぐるものあり奉天駐剳の歩兵第○○○聯隊は急遽同方面に出動した。寫眞は奉天驛に於る見送り。(左上)吉林方面に向はんとする我軍の長春驛前集合。(同下)長春於ける我が野砲
◇◇◇滿洲事變寫眞◇◇◇(その八)
(右上)歩兵第○聯隊戰死者の聯隊葬(同下)戰死したる倉本中隊長(左上)奉天にて重傷を負ひたる野田中尉(同下)長春に於る将校婦人會員の負傷者看護(右上)長春駐屯軍は關東軍司令官の命令を受け9月19日午前一時半南嶺旅團を夜襲し激戰十時間の久しきに亘り遂に約三千の支那兵を潰走せしめたが我軍の戰死者倉本中隊長以下下士卒32名、負傷者百四五十名の多きに上った。寫眞は第○聯隊戰死者聯隊葬の光景。(同下)南嶺に於て戰死したる獨立守備隊第一大隊第三中隊長倉本茂大尉。(左上)奉天北大營の戰に奮戰重傷を負ひたる獨立守備歩兵第二大隊附野田耕夫中尉。(同下)長春駐屯第○聯隊に於て将校婦人會及び特志看護婦會の會員等我軍の負傷者を看護しつつある有様。
◇◇◇滿洲事變寫眞◇◇◇(その九)
(右)皇后陛下恩賜の繃帯を捧ぐる杉山陸軍次官(左上)ダンサー連が情けの慰問袋(中下)吉林より長春へ避難し來れる邦人(左下)支那學生團に襲撃されたる王外交部長
(右)畏くも皇后陛下には今回の事變に出動、名譽の負傷をなしたる将卒に對し、繃帯百五十巻御下賜の御沙汰あらせられた。寫眞は杉山陸軍次官、御下賜の繃帯を拜受したるところ。(左上)9月28日の朝、華やかにダンサアの一團が突然陸軍省新聞班を訪れ、彼女等の美しい情けになる慰問袋を持込み滿洲への傳送方を依頼した。(中下)9月20日吉林の形勢急を告げたる爲め同地在住の邦人等續々長春驛へ避難し來れる光景。(左下)支那南京政府の外交部長王正廷氏は9月28日同地外交部に於て對日外交の失敗に憤慨せる數百名の支那學生團に襲撃せられ瀕死の重傷を負はされた。寫眞は王正廷氏。
關東地方強震被害
9月21日午前十一時二十分頃、突如關東地方に上下動より水平動に移った近來稀有な強震があった。震央は東京を距る北西約六十キロ、埼玉縣仙元山附近と測定せられたが、最大振幅55ミリで埼玉、群馬兩縣下の被害殊に著しく、埼玉縣下に於る死者11名。
寫眞(右)荒川堤防上の龜裂(左上)中央氣象臺の地震計(左下)埼玉縣吹上村氷川神社の倒壊。
關東地方強震被害
群馬縣下に於る死者五百名、兩縣下の重輕傷者合計百五十名の多きに上り埼玉縣下の總損害約百萬圓に達した。就中同縣深谷町附近の被害最も甚だしく同町富國館製絲工場の八十尺に餘る煉瓦煙突倒壊しその下に遊びゐた幼兒三名壓死したるは慘鼻極みであった。寫眞は孰れも今回強震の被害状況を示せるもの、寫眞(右上)は埼玉縣吹上村大鷲村農家の倒壊。(右下)リアカーに乗る避難民。(左)は埼玉縣比企郡深谷小學校庭に於ける同町の避難民。

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