極めてユニークな論述

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【T】日本も国境に「壁」を作れ

【U】「非核三原則」を捨て、 北朝鮮との「国交回復」を

【V】そろそろやめたらどうか 「パラリンピック」

【W】だからあれほど言ったのに

【T】日本も国境に「壁」を作れ
[Monday,Jun23,2017]

老生、怪しげな霞を食ってその日を凌いでいる世捨人であるが、時々、人様の面への引っ掻きを楽しむ悪人である。 その武器は、ただ一つ。大阪人特有のド現実主義。これは、抽象化好きの知識人連中から最も嫌われる。 きりながら、ド現実はド抽象であり、ド抽象はド現実であるとドイツの大哲学者が喝破したと学んだ遠い昔の記憶のままに、浮世の出来事についていささか引っ掻いてみたい。
まずは、老生のホームグラウンドの中国。我が国の仮想敵国である。ならば、十分に知り尽きねばならぬが、浮世の中国分析は甘い。
例えばこうだ。中国の軍事費大増額を基に、南シナ海における中国海軍増強に由る海戦の危機を訴える。それはそれで良い。優等生知識人の素直な観点である。しかし、ド現実主義に立つと、日本との海戦はまず起らない、と見る。なぜか。
答。ほとんどの中国人は泳げないから
問。なぜ泳げないと断ずるのか。
答。中国の公立小・中学校に、維持費のかかるプールがほとんどなく、泳ぐ訓練を受けていない。私学の一部にはプールがあるが。
日本の公立小・中学校の八割以上がプールを持っている。日本人の八割ぐらいが泳げるのは、その割合の結果である。
問。しかし、海や川があるではないか
答。ほとんどすべてが環境汚染されて いるドブ川、ドブ海。入ると生命があぶない。
というわけであるから、泳げない中国海兵にとっては、いくら救命具を身に着けるとしても、海戦において艦船が沈められ、海に投げだされるときの恐怖は想像を絶する。
一方、我が海上自衛隊員はほぼ百パー セント泳げるのみならず、二キロや三キ ロの遠泳もできる。そういう泳げる強兵に対して、泳げない弱兵が戦いを挑むであろうか。
いくら機械化され、IT化されても、最後は生身の人間の戦いなのである。これがド現実主義観点の例である。という立場で、今が旬の世のトランプ 論を眺めると、さらに引っ掻きたくなってくる。
トランプを嗤えるか
世の知識人という知識人は彼を馬鹿にして罵倒した。いや、罵倒してきて今もそれが続いている。トランプを罵倒することが、良心派、良識派の証である気に愚かな話である。良心派良識派知識人の大好きな『論語』に「人(他人)の己 れを知らざるを思えず。〔己れが〕人 〔のすぐれた点〕を知らざるを患う」(学而篇)とあるのを御存知ないか。
彼らが喋った最大のトランプ政策は、メキシコとの間に壁を作り、メキシコからの不法侵入を防ぐ。壁作りの費用はメキシコに負担させるというものである。しかし、老生は驚嘆した。その鮮やかな(現代性)に、である。 歴史を顧みるがいい。人類は森の中で自然物採集や小動物捕獲によって細々と生活していたが、やがて平原上の生活となる。そして移動する狩猟民族と定着する農耕民族とに分れ、しだいに農耕民族 (漁業も含む)が中心となった。そのど ちらにせよ、もちろん肉体労働であり、頭脳労働の要員は一部だった。 だから、ごく普通の身体であれば、働く場所も仕事もあった。有史の古代、中世となっても同様であった。いや、産業革命後も、エネルギー源の中心となった石炭を得るために盛んとなった鉱業も、依然として肉体労働中心であった。機械 や工具を動かすのも、実際は肉体労働であった。そしてそれに従事した人々の多くは農業からの転業者であり、肉体労働という労働形体がそれを可能にした。すなわち、古代・中世・近世そして近代の大半において肉体労働が労働の中心であり、多くの人々はそれによって生計をたてることができた。 ところが、現代に至るや職業内容に劇的変化が訪れる。エネルギーの中心となった石油を得るとき、石炭を得る方式と異なり、機械化が進み、重労働はなくなった。原子力エネルギーとなるとさらに人数も少なくなった。これらエネルギーを十分に利用できる諸工業は、次々と省力化に成功し、自動化してきている。商業も物流が機械化されてきている。つまり、肉体労働的要素が劇的に減ってきたのである。
その結果、肉体労働に依って生活してきた人々の働く場所が激減した。農業も機械化や金肥とともに、少人数で短時間でできるようになってきた。こうして、肉体労働で生活してきた非常に多くの人々の働ける場所が消えてしまったのが現代なのである。しかし、働かなければならない。いや働きたい。だが働ける場所がない…という状況が、近代化を推進してきた、かつての先進諸国に起きてきているのである。アメリカ がそれであり、何を隠そう、日本もそうなりつつあるのだ。
さらに言えば、肉体労働者向きの人が頭脳労働に転業するのは困難、いやできない。そしてわずかに残されていた肉体労働の口も入国した外国人に奪われていっているのである。この不満にある多くのアメリカ人に対して、トランプは、社会福祉的雇用としての公共事業、すなわちメキシコとの国境壁建設計画を打ち出した、と老生は見る。
鉄筋とセメントと砂とがあれば、高度の技術がなくとも国境壁は作れる。多くの無技術肉体労働者にとっていい仕事である。しかも十年、二十年と続くことであろう。
現代の持つ労働問題への果敢な挑戦をトランプ政策から学ぶべきは、日本の政治家なのである。日本にも同様の問題があるではないか。それへの対応政策はあるのか。多分、ない。ならば、偽物世捨人の老生、一案を呈さん。心あらば、嘉納を。
海洋国家の日本には、約七千の離島があるという。その完全管理が日本の防壁となる。周辺諸国からの密入国を防ぐには、島々すなわち島嶼の管理をすることである。それは国防となる。そこで、警察庁・海上保安庁合同の指揮の下、准公務員の島嶼管理士(あるいはは離島警備士)という身分を作り、諸島に駐在する職種を新設する。そして、不法入国者の逮捕や留置等の一定の警察権限を与える。住居や駐在所はもちろん生活費も支給する。
島嶼管理士資格の第一は、身体頑健。 ペーパーテストなど不要。第二は、日本国への堅固な忠誠心。 給与は年五百万円で十年契約。生活費 は不要なので、十年後、貯蓄と退職金とでだれでも約五千万円が残る。その財源はどうするのか。
簡単である。今、店頭にある雑誌『Hanada』今年四月号において、毎年二十兆円や三十兆円は立ちどころに国家が入手できる方法を老生が述べているので、それを読まれたい。
一言で表わせば、利子ならびに相続税のない国債を発行し、かつ通貨としても使えるようにする。相続税なしとあれば、金持ちはその国債を先を争って買う。すると膨大な隠し金が出てくる。この国債は通貨としても使えるようにするが、預けた金持ちはまず使わないから銀行に眠ることになるので、インフレにはならない。若干は出てきてもソフトインフレ程度であろう。一方、政府はそれによってこれまでの赤字国債の解決もできる。 あるいは、日本が守ってやるのであるから、長期滞在の諸外国人に対して国防税を徴収すればよい。スイスなどはそれを行なっている。これも毎年巨額となる。 頭を働かせば、財源は捻出可能であるから、それを国の公共事業(例えば島嶼管理土用)として使えばいい。働きたくとも適切な働き場所のない肉体労働者がそれによって人生に希望が約束されること、そして国家が安定できるとなれば、それが有るべき政治ではないのか。 希望を与え、人々の心を明るくする執政を、この悪人世捨人は願ってやまない。

【加地伸行 大阪大学名誉教授1936年大阪市生まれ。京都大学文学部卒。専門は中国哲学史。高野山大学、名古屋大学、大阪大学、同志社大学、立命館大学などで教授職を歴任した。】

【2017年4月 新潮45】

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【U】「非核三原則」を捨て、 北朝鮮との「国交回復」を
[Monday,Jun26,2017]

止まらない北朝鮮の暴走
北朝鮮の暴走が止まりません。スパイ映画さながらの金正男氏の暗殺に続き、3月6日には日本の排他的経済水域に向けて弾道ミサイルを複数発射しました。発表された映像からはいわゆるコールド・ローンチ方式という射出後に点火するタイプで、移動式発射台や潜水艦搭載に合わせた技術であることがわかります。 昨年秋に実施された5回目の核実験などと合わせて解釈すると、北朝鮮は、秘匿性の高い核の運搬能力を得たということであり、核抑止の世界でいうところの第二撃能力を手にしたということです。
第二撃能力とは、(米国等の)核攻撃の後にも核兵器を温存し、報復攻撃を行い得る能力のことを言います。この能力があると、核保有国は核保有国を攻撃できないという核抑止が働くということになります。もはや、北朝鮮には手出しできなくなるということです。北朝鮮はついに閾値を超えてしまったのですが、日本ではそうした意識が希薄です。国際社会の反応も、日本の反応も実に緩慢といわざるを得ません。制裁措置がようやくまとまったものの、中国が提供する抜け穴によって効果が上がらないことはわかり切っています。各国政府から 厳しい言葉が発せられることはあっても、北朝鮮の暴走を止め得るような実効性を伴う措置は見られません。日本政府は、 過去15年近くの間「対話と圧力」を繰り 返していますが、もはや意味のない呪文 になってしまっています。日本国民も、北朝鮮の挑発には慣れっこになってしま っているようです。当たり前ですが、対話がなければ圧力に意味はありません。そして、圧力がなければ対話の意味もないのです。現在は、対話も圧力も効いていません。日本は 硬軟両面において、「極論」に踏み込まなければならない状況にあると思っています。
米中の無策が蓄積させたリスク
北朝鮮問題がここまで悪化してしまった理由を探ると、米中の無策に行きつきます。米車が無策であるツケを、北朝鮮リスクの高まりという形で、東アジアの中規模国である日韓が払わされている状況なのです。まず、米国について。2002年にブッシュ(子)大統領が米議会で有名な「悪の枢軸」演説をしたとき、イラク、イラン、北朝鮮が国際社会に与える危険 性は比較し得る水準にありました。その後、ブッシュ政権はイラク戦争を戦い、オバマ政権はイランとの歴史的な核合意を結びました。イラク戦争は泥沼化して 大失敗し、イラン合意についても批判が多いのは事実です。ここでは、これらの政策の是非を論じることが主眼ではありませんが、米国が事態の改善に注力したことは間違いありません。
それに対して、北朝鮮問題は「戦略的忍耐」の名の下に捨て置かれるままでした。政府も国民も東アジアへの関心が相対的に低いというのが米国の現実です。米国の同盟国のうち、特に韓国が米国の強硬策を嫌ってきたという事情はあるにせよ、米国の消極姿勢は際立っています。対する中国も北朝鮮の現状に利益を見出しています。もちろん、中国も北朝鮮に手を焼いていないわけではありません。 中国は、何より北朝鮮の崩壊を懸念しています。北朝鮮の崩壊が、大量の難民を生み、米軍が中朝国境まで迫る事態を招来しかねないからです。他方で、したたかな中国は、米国に対してはもちろん、日本にも韓国にも「中国だけが北朝鮮をコントロールできる」というカードを最大限利用してきました。 2002年時点と比較すると一目瞭然 です。核問題は開発疑惑に過ぎなかったのにのに、今では20発程度の弾頭を保有し、第二撃能力を有するれっきとした核保有国です。拉致問題については取り合うこ とさえせず、曲がりなりにも存在した国際的な協議の枠組みも崩壊しています。 事態は悪化の一途をたどっており、「時の利益」は北朝鮮側にあると見ざるを得ない状況です。
「持ち込ませず」の撤廃
では、どうするか。硬軟両面で踏み込むとはどういうことは基本的には、軍拡と融和をともに進めるということです。 現代の日本においては、双方ともにたいへんに不人気な政策となるでしょう。
まず、強硬策の軍拡について見ていくと、敵基地攻撃能力の増強等もありますが、もっとも重要な点は蓄積していく危機に対して当事者性を回復することです。日本自身が、核抑止を成立させるためのテーブルに着くということであり、核保有に向けて踏み出すということです。これまでの日本の議論では、この時点でほとんど思考停止してしまうのだけれど、もう少し具体的に検討を進めるべき時にきています。
核保有と一言で言っても、いろんな形態があります。私が重要であると思うのは、日米同盟と整合的であり、NPT (核抜殻防止条約)とも整合し得るような方法をとること。国際的には、「核共有」と言われる形態であり、かつての英国やカナダ、現在のドイツやイタリアなどが採用している方法です。核の管理や戦時に使用する際の手順などに一定のバリエーションがあり、歴史的な蓄積があります。
日本国内で言えば、「持たず、作らず、 持ち込ませず」の非核三原則のうち、「持ち込ませず」を撤廃するということです。核兵器の使用に際しては、日本政府の意思を反映させる仕組みを設けることとなります。憲法との整合性は、9条 2項の「戦力」の解釈論となりますから整理は必要です。私は、「交戦権の否定」を規定する憲法9条2項は削除すべきと思っていますから、併せて改正する方が筋はいいでしょう。
具体的な安保政策として重要なのは、今後必要となってくる米国の核戦力更新についても日本が当事者性を確保することです。更新費用は1兆ドル(≒l14 兆円)以上とも言われています。核の傘提供の一環として同盟国のコスト分担を求めてくる葱口に、カネだけ出させられるのは回避すべきです。
戦後日本の国是と言っても良い政策を変更する以上、国内外あらの妨害について覚悟する必要があるでしょう。隣国が妨害し、あるいは米国が明示的に反対するようであれば、より自立的な形態の核武装についても模索せざるを得ないからです。
私は、これまでもテレビや雑誌で核共有論を展開してきましたが、保守を自任し、国防重視のはずの自民党の代議士ま でもが一目散に逃げてしまう。それはもう、サーつと引いて行く感じです。問題は、その判断が安全保障の要語に基づくのではなく、国内政治上の経緯に基づくこと。安全保障とは、あらゆる事態を想定し、準備を行うことです。野党を平和ボケと非難し、政権担当能力を云々っするならば、自らもあらゆる甘えや思老停止を排さなければいけないはずです。
国交正常化の意味
ただ、強硬策一辺倒では問題の解決にはつながらないでしょう。北朝鮮が欲しいのは体制の保証であり、外交の世界においては、それは国交正常化を意味します。もちろん、本質的に北朝鮮が恐れているのは米国のみですから、日本からの体制保証にどれだけ意味があるかはわからないけれど、米国の地域政策は長期的には地域の同盟国の影響を強く受けるものです。
日朝の国交正常化のあかつきには、法的な整理は難しいですが、第二次世界大戦の清算を兼ねた経済協力を行うことに なるでしょう。韓国の例を現代に引き直せば、兆円規模になる大きな判断です。北朝鮮は想像を絶するはどの非道な国家です。世界中に麻薬、武器、偽札を振りまき、国内では人権蹂躙の限りを尽くしています。罪なき日本の同胞を「スパイを養成するため」に拉致し、何十年にもわたって監禁するような国です。経済協力とは、そのような国に日本国民の税金を原資とするカネを渡すことです。果たして、日本国民はそれに耐えられるのか。左右両方から寄せられる非難に政権は耐えられるか。 経済協力の前提として、すべての拉致被害者について完全に満足のいく調査と返還が条件となるでしょうが、入り口論に終始するようでは結果はおぼつかない。交渉の文脈によっては拉致被害者に被害が及ぶこともあるだろうし、北朝鮮は、当然そういう脅しをかけてくるでしょう。 相手はテロ国家なのだから、被害者の身の安全に値段をつけるようなこともしてくるはずです。 そのとき、「毅然と対応します」と言うだけでは、これまでと変わらないし、役に立たないのです。外交とは、時に悪人との取引を要求する後ろ暗い営みです。交渉者は、大きな善のために悪に加担することを迫られるでしょう。果たして、日本国民は、現実主義の交渉をサポートすることができるか
全面戦争しないため
国是であるところの非核三原則を放棄し、最悪の人権蹂躙国家にカネを渡すという、今の日本にとっては極論でしかない提案を何故に行うのか。その大義は何か。それは、とてもシンプルであり、全面戦争をしないため、です。 核時代の戦争とは、以上に提案した事態の何倍もの悲劇を生むものです。現在の北朝鮮をめぐる事態は、それほどの危機感を持つべきと思っています。米車がうまく手打ちをしてくれて何とかなるとは思いません。トランプ政権は、国内重視で世界の問題に対する関心を急速に低下させています。 拉致問題への強硬姿勢で国民の信頼を勝ちえ、「戦後」を終わらせることに歴史的意義を見出す政権であればこそ、踏み出すべき時ではないでしょうか。

三浦瑠麗 国際政治学者
1980年生まれ。東京大学大学院法学 政治学研究科修了。著書に『「トランプ 時代」の新世界秩序、国家の矛盾」 (高村正彦との共著)などがある。

【2017年4月 新潮45】

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【V】そろそろやめたらどうか 「パラリンピック」
[Thursday,Jun29,2017]

パラリンピック、そろそろやめたらどうか? 障害署を見世物にするのはやはりよくないと思う。不健全だし、不道徳だし、下種だし、卑劣だし、つまらないし、アホくさい。
なにかあれば「障害者差別だ!」と騒ぎ立てる世の中である。小人プロレスもテント小屋でフリークスを見世物にするのもNGになってきたのに、なぜパラリンピックは野放しになっているのか?
おそらく次のような反論が戻ってくるのだろう。
「障害者を見世物にしているのではない。がんばっている人を応援しているだけだ」
「障害を乗り越えてスポーツに励むことのなにが悪いのか。あまりに心の貧しい見方ではないか」
「彼らは立派なアスリートだ。障害者と一括りにするのは失礼だ」
一度、頭を冷やしたほうがいい。 「大衆は小さな嘘より大きな嘘の犠牲になりやすい」と言ったのは、オリンピックを国威発揚の場として利用したナチスのアドルフ・ヒトラーだ。
私はオリンピックに興味はないが、その存在意義は理解できる。泳ぐのが得意な人たちが集まってプールで競争する。
そこで世界新記録が生れるかもしれない。サッヵーやバレーボールが得意な人たちが集まって、華麗なプレーを見せる。それを見て人々は感動する。莫大な利権が絡んでいるので招致活動に熱心になる 人たちの気持ちもわかる。
でも、パラリンピックは、スポーツをするのに支障がある人たちが集まるわけでしょぅ。義足の人が走ったり、車椅子に乗ってフェンシングをしたり。聴覚障害の人が伝言リレーをやるのは変でしょぅ。 嗅覚障害の人がソムリエコンクールに出るのは変でしょぅ。
算数が苦手な人が数学オリン。ヒックに出るのは変でしょぅ。
障害者をバカにしているのではない。逆だ。障害者をバカにするなという話です。 障害があるのに、あえて苦手なところ使って勝負させる必要はない。身体が悪いなら頭を使い、頭が悪いなら身体を使えばいいだじぇだ。スティヴン・ホーキングに求められているのは理論物理学の研究でありカヌーを漕ぐ技術ではない。そもそもパラリンピックは、パラプレジア(麻痺)とオリンピックを掛け合わせた一言葉だ。第一回は一九六〇年のローマ大会。当時は「ストーク・マンデビル技大会」と呼ばれていたが一九八八年の第八回ソウル大会より正式名称が「パラリンピック」となった。
一九九八年の長野パラリンピックでは、クロスカントリースキー種目において初めて知的障碍者の参加が認められる。し かし、二〇〇〇年のシドニー大会において、男子バスケットボール知的障害クラスで金メダルを取ったスペインチームに障害者を装った健常者がいたことが発覚し、二〇〇二年のゾルトレイク大会では 知的障害者の参加を認めないことになった。なお、二〇一二年のロンドン大会では、陸上・水泳・卓球の三種目に知的障害者が参加している。ここまでくると、ほとんど意味がわからない。知的障害だけで身体障害がないなら、オリンピックに出ればいいのに。結局、頭の中がこんがらがっているのだ。
義足の技術の進化により、健常者の世界記録を抜く可能性もある。義足なら疲れないし、体に機械を組み込めば、あらゆる種目で記録は更新されるだろう。
実際、ドイツのマルクス・レームは、カーボン繊維でできた義足を使い、二〇 一五年の障害者陸上男子走り幅跳びで、八メートル四〇の記録を出している。これは、二〇〇八年の北京オリンピック、二〇一二年のロンドンオリンピックの優勝記録を上回っている。そのうち一〇〇メートルを三秒で走り、パワーリフティ ングで三トンを持ち上げる障害者も出て くるかもしれない。しかしそれを「記録」と呼べるのか?
「やさしい自分」
「パラリンピックの父」と呼ばれるルートヴィヒ・グットマンは、障害者競技は「記録」だけが目的ではないと言う。第二次大戦後、傷残軍人の治治療にあたったグットマンの時代にはこうした物言いも通用しただろう。
しかし、今の時代に「記録は目的だはない」と言う人の「目的」とは何か?
ここで連中の正体は暴露される。
結局、こういうことだ。 パラリンピックを消費するのは社会の大多数を占める健常者である。その中でも特に下劣な連中は、障害者が飛んだり跳ねたりする姿を見て感動する「やさしい自分」が好きなのだ。障害にもめげずに努力を重ねる姿を見て、明日を生きる勇気をもらったというわけである。「同情は特有の厚顔無恥ぶりを伴う」と言ったのはドイツの哲学者フリードリヒ.ヴィルヘルム・ニーチェだが、「麻痺」しているのは、こうした連中の感覚だ。「障害」はカネになる。『五体不満足』の乙武洋匡、全盲のピアニスト辻井伸行、聴力を失ったフジ子・へミング、筆談ホステスの斉藤里恵…・。彼らの仕事について「いい」「悪い」どと言っているのではない。メディア、企業が障害をビジネスに利用している事実を指摘しているだけだ。
数年前に佐村河内守の事件があった。
佐村河内は交響曲第1番<HIROSHIMA>を作曲した全聾の音楽家として脚光を浴びたが、ゴーストライターによる代作であることが発覚。障害も偽装だった。
問題が発覚した後、「騙された!」「C D代を返せ」と騒ぎ立てた連中がいた。つまり、彼らは佐村河内の音楽を楽しんでいたのではなく、「現代のベートーヴェン」佐村河内の障害を「消費」していたのである。だから、自分が払った「同情」を返せとなるわけだ。
病んだ社会では病んだものが求められる。大衆は持病を自慢し、他人の障害を詮索する。連中はハイエナのように「あわいそうなもの」「不幸なもの」に接近する。優秀などジネスマンである佐村河内はそれに気づいて、意識的に「商品」をつくったのだ。
パラリンピックの構図も同じだ。だからこそ、健常者が障害者を装って大会に出れば大騒ぎになる。 障害者の一部は気づいている。車椅子 の障害者でコメディアンのステラ・ヤング(二〇一四年死去)は、自分は健常者に「感動を与えるための存在」ではないと言う。車椅子に乗って講演を始めれば、聴衆が期待するのは「感動」だとステラは指摘する。
「手が無い小さな女の子が口に。ヘンをくわえて絵を描く姿」「カーボン・ファイバーの義足で走る子供」…。こうした イメージをステラは「感動ポルノ」と名付けた。ポルノも障害ビジネスも、人間をモノとして消費している面においては同じだと。もっとも、「善意」を隠れ蓑 にしている分、後者のほうがタチが悪い。
ステラが言うように、障害者は健常者を感動させ、「自分の人生は最悪だけど下には下がいる」とやる気を起こさせるために利用される。正気を取り戻すべきだ。 ルートヴィヒ・ヴアン・ベートーヴェ ンが偉大なのは全聾だからではない。スティーヴイー・ワンダーが偉大なのは全盲だったからではない。 フィンセント・フアン・ゴッホが偉大なのは耳を切り落としたからではない。こうした「常識」が通用しない人間が、かなりの数存在するのが残念ながら今の世の中だ。は「人間の尊厳を保つ」ことだという。一度、パラリンピックを見て感動する自分の顔を鏡に映してみたらどうか。 オリンピック憲章によれば、その日的は人間の尊厳を保つ」ことだという。パラリンピックも同様の理念に基づき、早急に廃止すべきである。

適菜収(てきなおさむ)1975年山梨県生まれ。早稲田大学で西洋文学を学び、ニーチェを専攻。近著に『安死ぬ前に後悔しない読書術』『安倍でもわかる政治思想入門』など。

【2017年4月 新潮45】

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【W】だからあれほど言ったのに」
[Tuesday,Jul18,2017]

【今のニッポン、大河ドラマなら45話あたり。慢心した無能な殿に練める家臣もなしなら、当然のこと、行き着く先は「破局」だろう。】

ここのところ、昔のNHK大河ドラマ をまとめて見ている。『天地人』『義経』『毛利元就』『太平記』『翔ぶが如く』『武田信玄』『軍師官兵衛』と見てきたが、一作品が五〇話くらいと相当な量があり、全部見るのは気力がいる。『功名が辻』はなんとなく途中で見るのを止めてしまった。『新選組!』はあまりに脚本がひどいので第一話の前半で見るのを止めた。調べたら、案の定、三谷幸喜だった。よって三谷脚本の『真田丸』も見る予定はない。NHKは何に媚びているのか。変な人選ばやめてほしい。
ついでに言うと、『武田信玄』で織田信長を演じた石橋凌は最低だった。演技も下手だけど、滑舌が悪すぎてセリフが聞き取れない。三〇年近く昔のドラマを、今更時評でけなされても困るとは思いますが。
人はなぜ大河ドラマを見るのか。やはり、自分の人生と重ね合わせるからだろう。あくまでドラマであり、史実とかけ離れている部分も多いが、それでも美男美女が乳繰り合う恋愛ドラマよりは、はるかに身近に感じるし、実在の人物を扱っているので真実味もある。いつ刀を抜くのか、いつ反旗を翻すのか、乱世においては各自が見極めなければならない。
短気を起こせば命を落すし、のんびり構えていては機会を失う。無能な殿を諌める家臣がいなければ、世は乱れ、人心は荒廃し、悪がはびこり、クニは滅びる。
武家も二代目、三代目あたりになると、慢心、おごり高ぶりが目につくようになり、社会では世直しの動きが加速する。

銀座にオープンした商業施設の式典あいさつで、総理大臣の安倍晋三は、売り場に並ぶ各地の名産品を紹介した後、そこで読み上げた原稿について、「残念ながら山口県の物産等々が書いてありません」「私が申し上げたことを忖度していただきたい。」と発言(四月十七日)。
森友加計学園問題をはじめとする自身の疑惑に関るジョークを飛ばしたわけで、逃げ切る算段でもあるかのようだった。
しかしその後学園の籠池理事長の「(国有地の売買について)安倍総理や照恵夫人の意向を忖度して、財務省の官僚が動いたのではないか」との発言を裏付ける証拠や証言が続出。民進党が開いたヒアリングで籠池は、「(国側との)交渉の経緯は、昭恵氏に報告していた」「主人にお伝えしますと言ってもらい、何かすることはありますか、とまで言ってくれて、うれしかったことを覚えています」と発言(四月二八日)。籠池によれば、昭恵との接触により国側が「突然、それまで後ろ向きだった定期借地に前向きになってくれた」とのこと。
なお、籠池が財務省と面談した際の音声データも公開され、国有財産審理室長の田村嘉啓が取引を「特例」と発言していたことも発覚。「森友問題はもう終わった」と世論誘導に勤しむメディアもあるが、黒幕を追い詰めることはできるのか。ドラマはこれからが見どころだ。

「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案が衆院法務委員会で実質審議入りした(四月十九日)。一月の「そもそも罪を犯すことを目的とする集団でなければならない」という答弁と、二月の「オウム真理教は当初は宗教法人だったが、犯罪集団に一変したので適用対象となる」という答弁を引用し、「そもそも」は「最初から」という意味であり、一月の答弁に従えばオウム真理教は適用の対象外だと、内容のプレを突いた。
すると安倍は、「『そもそも』という言葉の意味について、山尾委員は『はじめから』という理解しがないと思っておられるかもしれませんが…⊥「これは、辞書で念のために調べてみたわけでありますが、これは『基本的に』という意味もあるということも、ぜひ知っておいて いただきたい」と小バカにしたような態度をとった。山尾は呆れ顔で「詭弁で誤魔化すな」と反論。更に安倍がゴニョゴニョ言い出したので、「器が小さいんだよ!」と切り捨てた。たしかに安倍は総理の器ではない。議論はできないし、批判されるとキレて大声をあげる。なにかトラウマでもあるのだろうか。
安倍は「『そもそも』という言葉を辞書で調べた」と繰り返したが、「毎日新聞」の校閲記者が三〇種類以上の辞書を調べたところ「基本的に」という説明はひとつも見つからなかったそうな。そもそも、知らない言葉を辞書で調べる習慣があれば、「云々」も読めないまま六二年の人生を歩んでこなかったはずだ。乳母の証言によると、安倍は子供のときから嘘つきだったという。虚言癖は劣等感の裏返しでもあり、なかなか治らない。
武士に二言なしというが、言葉に信頼 がなければまともな家臣はついてこない。 復興相の今村雅弘が東日本大震災について「まだ東北で良かった」と発言(四月二五日)。事実上今村を更迭した安倍は「極めて不適切な発言があった。任命責任は私にある」と言っていたが、これまで任命責任をとったことが一度でもあるのか。第一次安倍政権では、政府税制調査会会長の本間正明、規制改革担当大臣の佐田玄一郎、農林水産大臣の松岡利勝、防衛大臣の久問章生、農林水産大臣の赤城徳彦、農林水産大臣の遠藤武彦…と多くの閣僚が問題を起こし辞任。第二次政権以降も、法務大臣の松島みどり、経済産業大臣の小渕優子、農林水産大臣の西川公也、経済再生担当大臣の甘利明らが辞任している。責任感の欠片でもあったら、一〇〇回くらい内閣が吹っ飛んでいるだろう。

民進党の辻元清美に関するデマを元に産経新聞が記事を書き、安倍がそれを真に受けて国会で言及するという椿事が発生(三月二八日)。いろいろ終わっていますね。簡単に説明すると、籠池の女房の諄子が昭恵に宛てたメールで、「辻元清美が幼稚園に侵入しかけ私達を怒らせようとしました」「三日だけきた作業員が辻元清美が潜らせた関西なんとか連合に入っている人間らしい」などと根拠のないことを書き、産経が裏取りや確認取材もロクにせずに記事を書いたということ。辻元はこれを否定。諄子も「事実を確認たわけではないです」と誤りを認め、「作業員」も辻元とは面識がないと関係を否定。産経がどのように謝罪する のかと注目が集まる中、政治部長の石橋文登は「民進党の抗議に反論するー個喝と圧力には屈しない」との記事を掲載し、恥の上塗りをした。
ネトウヨは事実関係などおかまいなしにひたすら辻元を叩くだけ。要するに、ネトウヨが脊髄反射するキーワードが「辻元」なんですね。「慰安婦」や「南京」と同じで、その単語を聞くとそわそわしだす。問題は社会の公器たる新聞が、一政治家を異常なほど持ち上げ、ネトウヨのブロガーレベルの記者がデマを垂れ流していること。しなし、産経はなぜここまで急速に劣化したのか産経で保守思想に関するコラムを二年半連載していた私としても非常に残念です。同じようなことを感じている人も多いようだ。評論家の津田大介はツイッターでこうつぶやいている。
「産経はネットの保守層を取り込もうと、ビジネス的を理由あらここ10年で極端に右傾化したものの部数は大して伸びず(彼らはそもそもネットが主たる情報入手手段であって新聞に金払わない)、そういうネットの言論ばかり触れてガチでそうなっちゃった感じ。ミイラ取りがミイラになった典型だな」(四月五日)。
小説家の松井計は「産経もなかなかしんどい所だろうと思うなあ。ここ数年来の、一見すると暴走とも思える報道姿勢は、企業生き残り策の一環として、読者対象を絞ったという事ですよね。その結果、記事の質や真実性よりも、その読者対象が喜ぶ内容が優先される、という形になってるのが産経の現状で。これは辛そうですよ」とつぶやいていた。もっともジャーナリズムの族を降ろすなら問題はない。安倍ファンクラブの会報として落ちるところまで落ちればいい。

文部科学省が道徳の教科書検定で、郷土愛不足を理由に「パン屋」を「和菓子屋」に書き換えさせたという話が出ていた。修正は教科書会社の判断に委ねられており、文部省が強制したわけではが、和菓子屋を利用して国や郷土への愛を説くというのもアホ。教科書担当者曰く「パン屋が悪いわけではない」「例えば『パン屋』の記述を残しながら、あんパンが日本で定着した経緯を書き加 えるのも、許容されるのではないか」(「産経新聞」四月一日)。
あんパンでもやっているんですかね。

評論家の渡部昇一が死去。享年八六。大昔に『知的生活の方法』を読んだけど、若者はクーラーを買えと書いてあって、なるほどと思ってクーラーを買いました。 他の仕事は、あまり記憶にない。安倍はフェイスブックに「(渡部は)批判を恐れず日本のマスコミの付和雷同に挑戦し続けてこられた」と投稿。でも、日本のマスコミの安倍に対する「付和雷同性」には緒戦しなかったみたいだけど。

東京都知事の小池百合子は、七月の都議会議員選挙後に、東京オリンピックなどの課題で、政府や自民党本部との連携を深めていく考えを示した(四月二一日。)また、都内の日本料理店で安倍に遭遇したことについて「『小池さん、お手柔らかにお願いします』と声をかけてもらった。大変和やかなムードだった」と述べた。
一方安倍は、銀座の大型複合ビルのオープニングイベントで、「小池知事ともしっかりと協力をしていきたいと、本当にそう思っている」「銀座といえば『銀座の恋の物語』。(小池と)一緒に歌ってもいいのだけど」と発言(四月一七日)。
もはや別働部隊ですらない。これは大阪の維新の会と官邸の関係と同じ構図。現場では対立しながら、裏ではペッタリとつながる。
米『TIME』誌が「世界で最も影響力のある一〇〇人」を発表日本人では小池だけが選ばれた。金正恩やトランプもランクインしているので、悪影響かと思ったらそうではないらしい。『TIME』は、「世界中の女性にとっての先駆者だ」と小池を評価。パリのアンヌ・イダルコ市長は「彼女のビジョンが将来にしっかり向けられていたことに感銘を受けた」と寄稿。メディアの劣化は日本だけの現象ではないようだ。そもそも小池のビジョンがおかしいから市場移転問題で関係者が振り回されているわけで、被害を受けているのは都民である。莫大な税金をぶっ飛ばしておいて、なにが都民ファーストか。小池には政策の一貫性もない。細川護照、小沢一郎、小泉純一郎と時の権力に阿り、「政界渡り鳥」と呼ばれるようになった。「女性の模範って何の冗談? ちなみに私適菜収は作詞家としてデビューすることになりました。最初の曲は「豊洲の女」。歌手は三沢カヅチカ。作曲は多城康二。プロデューサーは松田聖子世に出した若松宗雄です。六月一日発売、八月にはカラオケDAM(第一興商) に配信予定。作詞の依頼も受け付け中。

元フジテレビアナウンサーの長谷川豊が、維新公認候補で次期衆院選の千葉一区から出馬すると表明しているが、「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!」と題したブログを善くなど、言動が問題になっている。それ以上に危険なのが、イスラム教を冒漬した二〇一五年九月一四日のブログだ。 「マホメット?ただの性欲の強すぎる乱暴者です」「いま世界で起きてる戦争、ほとんどイスラム系でしょ?一番、暴力的な人間が教祖様のところでしょ?」 「マホメットなんぞ、文献によれば、何人の女、囲ってたと思う?ほとんどハーレム状態。思いやりのある人間がそんなことする訳ないでしょうが」 これはイスラム教に対する批判ではなく、誹謗中傷である。こんな人間が国会議員になったら、確実に国際問題になる。今からでも遅くないので長谷川は正式に謝罪し、出馬を取り消したほうがいい。

自民党の西田昌司が「朝日新聞」に党内の事情を暴露。国会で西田が森友問題について質問に立つことが決まると、安倍から電話がかかってきたという。「西田さんは大阪問題でやりたいだろうけど、それを頼んだのが安倍だと言われたら、なんにもならないからさ」 西田は大阪府の小学校設置認可をめぐる規制緩和の問題について質問するつもりだったが、維新の会に近い安倍の立場を考え、安倍の言う通りに、約八億円の 値引きの正当性を主張する官僚答弁を引き出し、「森友事件の報道はフェイクニ ュースだ」と訴えたとのこと。西田は「総理が直接電話してくるのは異常やねん」などと言っていたが、真実を知りながら報道を「フェイク」と言い切るのも異常やねん。今頃言い出すのも異常やねん。そのときに安倍に従ったのも異常やねん。どんな褒美をもらったのか知らないが党内でこういう取引をやっているのも異常やねん。毛利につくのか 織田につくのか。もっとも西田は宇喜多直家ほどのタマではないけどね。

地方創生相の山本幸三が、滋賀県で開かれた地方創生に関するセミナーで、観光振興をめぐり「一番のがんは文化学芸員と言われる人たちだ。観光マインドが全くない。一掃しなければ駄目だ」と発言(四月一六日)。山本は「地方創生とは稼ぐこと」と定義したそうだが、なかなか象徴的な発言だ。日本の「一番のがん」は、カネでしか価値判断できないこの手の連中である。
文化や知性の軽視といえば、安倍が詠んだ句は比類を絶していた。安倍主催の「桜を見る会」が新宿御苑で開かれ、芸能人やスポーツ選手ら約一万六五〇〇人が出席(四月一五日)。安倍は挨拶で八重桜と第二次政権発足から五年目になることをあげて、「風雪に耐えて5年の八重桜」と詠んだ。算用数字も入っているし、サラリーマン川柳ですらない。あまりにアホなので、一句。「風説を流して5年の花畑」

安倍は北朝鮮情勢について、「いかなる事態になっても国民の生活と平和な暮らしを断固として守り抜く決意だ」と発言(四月十日)。情勢が緊迫する中、ロンドンを訪問(四月二八日)ゴルデンウイークについて「ときには仕事を忘れて休日を楽しんでいただきたい」「「政府も常に課題山積ではあるが、課題にしっかりと対処していくためにも、私も十分に英気を養いたいと考えている」だって。なお、『週刊現代』(五月六・一三日号)では、「北朝鮮情勢が緊迫してきてから、安倍さんはすっかり元気になって、『ツキがまわってきた』と側近たちに話しています。『安保法制も集団的自衛権も、やっておいてよがっただろ。 シナリオ通りだよ』とも」という官邸スタッフの言葉が紹介されていた。課題山積である。
安倍の母親の洋子が昭恵に対して激怒しているという。(『週刊新潮』四月六日号)。「あなたは安倍家を貶めたのよ!安倍家を汚した。籠池とはずいぶん親しいようだけど、どんな関係なの。あなたは一体、何をやっているの!」。ちなみに安倍は母親に頭が上がら
ず、少なくとも三八歳になるまで「ママ」と呼んでいたという。昭恵もたいがいだけど、安倍家を貶めたのは間違いなく晋三だよね

宅配便最大手のヤマト運輸は、主要取引先であるインターネット通販大手アマゾンの「当日配送サービス」の引き受けから撤退する検討に入ったとのこと。また、低運賃の荷物が増えて採算が悪化している大口の法人客約一〇〇〇社と値上げ交渉を進め、現場の負担を減らして労働環境を改善するという。これは英断。 全面的にヤマト運輸を支持します。政治も同じだけど、歪な構造がいつまでも続くわけがない。現場の人間を軽んじれば、いつか報いを受けることになる。
テレビ朝日『報道ステーション』の解説員に橋下徹を起用するという話が出ている。この乱世、なにがあってもおかしくないが、」報道機関の集団自殺が始まったようだ。特定政党の法律政策顧問であり、実質的なトップの発言を巷に垂れ流すわけだから、異常としか言いようがない。橋本の悪事については本誌で指摘してきたので繰り返さないが一点だけ。
橋下は「能や狂言が好きな人は変質者」 といった発言からもわかるように、わが国の歴史や伝統を深く憎んでいる人物である。「竹島は韓国と共同管理しろ」「外国人政治家を招増しろ」などと言っている人間を野に放てばどうなるか。橋下はワシントンで講演(三月二七日)。「安倍政権は今、非常に苦しんでいる。北朝鮮でミサイルが発射されるかもしれない危機的な状況の中で、わずか数億円の国有地の売買をめぐって国会が大騒ぎになっている」「(トランプは日本に対し)強力な外圧をかけてもらいたい」などと発言。 NH大河ドラマなら今は第四五話あたりの感じか。破局が近づいているよう だ。           (敬称略)

【適菜収(作家・哲学者)「新潮452017年6月号」】

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